1: 名無しさん 2018/06/04(月) 20:19:31.69 0
2: 名無しさん 2018/06/04(月) 20:20:31.28 0
こんなものに10年も費やしたのが謎
6: 名無しさん 2018/06/04(月) 20:22:32.76 0
なにが凄いのかまったく分からないのが凄い
7: 名無しさん 2018/06/04(月) 20:23:09.18 0
完全再現だから凄いんだよ
12: 名無しさん 2018/06/04(月) 20:24:32.21 0
ここに住んでたと思うとすごいだろ想像力を働かせて見ろ
名古屋城本丸御殿
城主(藩主)が居住する御殿であったが、1620年(元和6年)将軍上洛時の御成専用とすることになり、以後藩主は二之丸御殿に居住した。本丸御殿を使った将軍は秀忠、家光、家茂の3人で、上洛の途中に宿泊している。
御成専用とするだけあって、当時の二条城本丸御殿に匹敵した。南御門から入ると正式な入口である式台があり、奥に玄関が建っていた。他、中玄関、広間(表書院)、対面所、書院(上洛殿)、上り場御殿(湯殿書院)、黒木書院、上御膳立所(かみごぜんだてしょ)、下御膳立所(しもごぜんだてしょ)、孔雀之間、上台所、下台所、大勝手などの殿舎が建ち並び、他各種の蔵や番所が建てられていた。
これら殿舎等はすべて第二次世界大戦の空襲で失われたが、内部にあった障壁画のうち移動可能な襖などは取り外して倉庫に収められていたため焼失を免れ、戦後重要文化財に指定、保存されている。現在本丸御殿の復元計画が実施されており、2009年(平成21年)1月19日に着工。2013年(平成25年)5月29日より、玄関と表書院(謁見の場所)が一般公開されている。 2016年(平成28年)6月1日より対面所と下御膳所を公開、2017年度(平成29年度)工事完了、2018年度(平成30年度)全体公開を予定している。 なお、本丸御殿の建築材として木曽山のヒノキが使われており、木曽の山林地帯はかつて尾張藩の領地で、尾張藩は将来の為に森林保護や伐採抑制政策を進めていた。 2018年(平成30年)6月8日完成公開。
wikipedia.org
城主(藩主)が居住する御殿であったが、1620年(元和6年)将軍上洛時の御成専用とすることになり、以後藩主は二之丸御殿に居住した。本丸御殿を使った将軍は秀忠、家光、家茂の3人で、上洛の途中に宿泊している。
御成専用とするだけあって、当時の二条城本丸御殿に匹敵した。南御門から入ると正式な入口である式台があり、奥に玄関が建っていた。他、中玄関、広間(表書院)、対面所、書院(上洛殿)、上り場御殿(湯殿書院)、黒木書院、上御膳立所(かみごぜんだてしょ)、下御膳立所(しもごぜんだてしょ)、孔雀之間、上台所、下台所、大勝手などの殿舎が建ち並び、他各種の蔵や番所が建てられていた。
これら殿舎等はすべて第二次世界大戦の空襲で失われたが、内部にあった障壁画のうち移動可能な襖などは取り外して倉庫に収められていたため焼失を免れ、戦後重要文化財に指定、保存されている。現在本丸御殿の復元計画が実施されており、2009年(平成21年)1月19日に着工。2013年(平成25年)5月29日より、玄関と表書院(謁見の場所)が一般公開されている。 2016年(平成28年)6月1日より対面所と下御膳所を公開、2017年度(平成29年度)工事完了、2018年度(平成30年度)全体公開を予定している。 なお、本丸御殿の建築材として木曽山のヒノキが使われており、木曽の山林地帯はかつて尾張藩の領地で、尾張藩は将来の為に森林保護や伐採抑制政策を進めていた。 2018年(平成30年)6月8日完成公開。
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